終わり良ければ、すべて良し

物事には、起点と終点があり、ある結果があった場合に、そこにはそのことが成った理由である起因が存在する。

こういうことであるという原因が、ディテールがあったから、今の成果が訪れたのであって、自分の望みが叶わないのは、そもそも起因になる下準備、素養が整っていなかったから、望みが果たせないのである。

起因はご縁でもある。良縁は、日頃の自分の努力と研鑽のたまもので、結ぶことが出来る。

類は友を呼ぶ。自分らしくあれば、自分に似た人が寄って来る。

素晴らしい成功が成った訳には、起因となる素晴らしい要素が始めに存在したからである。

何もなくては、なにも生まれない。自分で自分の畑を耕し、タネを蒔き、若芽を大切に育てたから、大きな実りを得るのである。

なんの努力もしない人にある日突然ラッキーが降ってくるなんて事はほぼ無い。起因になる良縁は、勤めて結ぶものだからである。偶然に思える事も、遠い起因に立ち返れば、それは必然である。因果応報は概ねあると考えると合点がいく。敗れた時の諦めもつく。

終わり良ければ、すべて良し。





野の花通信

沙菜子の心に映るよしなし事を綴っています。